2017年03月11日

室町時代の惣の形成

鎌倉時代には集落はまだなく、後半からようやく近畿などで集落が作られるようになりました。室町時代になると荘園や公領などのなかに「村」ができはじめます。そして自律、自治的な組織としての村が、小農・新名主と呼ばれる農民を中心に増加し、成長していきます。

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これは領主・国人の不当な農民に対する要求に対抗する目的と相次ぐ戦乱から自衛の目的で発達したものです。


そうした背景から自治的集団として「村」が発達することをさら以下のように促します。


村の指導者として

 指導階層…地侍(じざむらい)→武士的な性格を持つ上層農民です。

 村役人…地侍から選抜され、番頭・沙汰人(さたにん)、乙名(おとな)と呼ばれました。


村の活動

寄合(よりあい)…入会(いりあい)地、共有地)の管理、灌漑用水の整備・配分等を協議。

宮座(みやざ)…神社の氏子(うじこ)組織。精神的結合の中心として機能。

村掟(むらおきて)…村の規約を制定。違反者は追放・村八分・罰金。

年貢の納入…百姓請(地下請、じげうけ)も行われた。


村の自治組織…(そう)惣村→惣の連合=郷(ごう)あるいは与郷(くみのごう)

こうした惣の形成は、農民の団結を促し、愁訴(しゅうそ)強訴(ごうそ)などの行動や、全員で耕作放棄して逃げる逃散(ちょうさん)、そして不当な役人に対する土一揆の実行や農民の反抗の核となることがありました。


上に出てきた用語は今でも一部、集落の集会や運営に関して使われていますね。

posted by あまがえる at 18:00| Comment(0) | 日本史 | 更新情報をチェックする
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