2017年03月13日

日本史 執権政治の全盛期

北条氏による執権政治が全盛となる、泰時と時頼の政治について説明します。


(1)泰時の政治

 *連署(れんしょ)の設置(1224)

  執権の補佐役として連署の職を設立

 *評定衆(ひょうじょうしゅう)の設置(1225)

  重臣の合議制を制度化、執権と11名の評定衆との合議で重要政務・訴訟採決をつかさどる。評定衆は六波羅探題にも置かれた。→政所・問注所の有名無実化。

 *貞永式目(御成敗式目)制定(1232)

  わが国初の武家法として成文化。


(2)時頼の政治

 *引付(ひきつけ)衆設置(1249)

  評定衆の補佐、裁判の公平迅速を目的。六波羅探題にも設置。

 *摂家将軍の追放

  前将軍藤原頼経(よりつね)を追い、将軍頼嗣(頼経の子)を廃した。

 *宮将軍(親王将軍)の擁立

  後嵯峨天皇皇子の宗尊親王を将軍に立てた。…実権はない。

 *他豪族の粛清

  三浦氏、千葉氏など。以後北条氏に抵抗勢力がなくなった。


特に貞永式目の制定は重要で、室町幕府の建武式目、戦国大名の分国法の基礎となるものでした。

posted by あまがえる at 18:00| Comment(0) | 日本史 | 更新情報をチェックする
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