2017年05月03日

センター日本史 明治6年の政変

1873年(明治6年)の8月、遣外使節団の留守をあずかる留守政府は、朝鮮へ西郷隆盛を派遣することを決定します。ここでは朝鮮が開国して国交の要求が受け入れなければ、武力を背景に征韓か否かの強硬姿勢をとりうる方針(征韓論)であることを内定しました。


国内の不満を持つ士族たちの目を海外に向けさせるねらいがあったとされています。しかし、同年9月に岩倉具視ら使節団の一行は、海外列強諸国の発展を見てきているため、内政をを優先すべきと征韓論に反対しました10月半ばのことです。参議などの両者は以下のように分けられます。


征韓論の立場:西郷隆盛、板垣退助、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣

非征韓論の立場:大久保利通、岩倉具視、伊藤博文、木戸孝允


両者は論戦を行いますが結局その翌日には西郷隆盛の派遣を決めます。しかしその5日後には岩倉具視が太政大臣代行となりその決定を覆し、天皇も西郷の使節派遣不可とする岩倉の提案を受け入れる勅許を出します。


それをみた征韓論の立場の5人の参議は辞表を提出し、受理されます。この一連の政変を明治6年の政変といいます。


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2017年03月13日

日本史 執権政治の全盛期

北条氏による執権政治が全盛となる、泰時と時頼の政治について説明します。


(1)泰時の政治

 *連署(れんしょ)の設置(1224)

  執権の補佐役として連署の職を設立

 *評定衆(ひょうじょうしゅう)の設置(1225)

  重臣の合議制を制度化、執権と11名の評定衆との合議で重要政務・訴訟採決をつかさどる。評定衆は六波羅探題にも置かれた。→政所・問注所の有名無実化。

 *貞永式目(御成敗式目)制定(1232)

  わが国初の武家法として成文化。


(2)時頼の政治

 *引付(ひきつけ)衆設置(1249)

  評定衆の補佐、裁判の公平迅速を目的。六波羅探題にも設置。

 *摂家将軍の追放

  前将軍藤原頼経(よりつね)を追い、将軍頼嗣(頼経の子)を廃した。

 *宮将軍(親王将軍)の擁立

  後嵯峨天皇皇子の宗尊親王を将軍に立てた。…実権はない。

 *他豪族の粛清

  三浦氏、千葉氏など。以後北条氏に抵抗勢力がなくなった。


特に貞永式目の制定は重要で、室町幕府の建武式目、戦国大名の分国法の基礎となるものでした。

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2017年03月11日

室町時代の惣の形成

鎌倉時代には集落はまだなく、後半からようやく近畿などで集落が作られるようになりました。室町時代になると荘園や公領などのなかに「村」ができはじめます。そして自律、自治的な組織としての村が、小農・新名主と呼ばれる農民を中心に増加し、成長していきます。

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これは領主・国人の不当な農民に対する要求に対抗する目的と相次ぐ戦乱から自衛の目的で発達したものです。


そうした背景から自治的集団として「村」が発達することをさら以下のように促します。


村の指導者として

 指導階層…地侍(じざむらい)→武士的な性格を持つ上層農民です。

 村役人…地侍から選抜され、番頭・沙汰人(さたにん)、乙名(おとな)と呼ばれました。


村の活動

寄合(よりあい)…入会(いりあい)地、共有地)の管理、灌漑用水の整備・配分等を協議。

宮座(みやざ)…神社の氏子(うじこ)組織。精神的結合の中心として機能。

村掟(むらおきて)…村の規約を制定。違反者は追放・村八分・罰金。

年貢の納入…百姓請(地下請、じげうけ)も行われた。


村の自治組織…(そう)惣村→惣の連合=郷(ごう)あるいは与郷(くみのごう)

こうした惣の形成は、農民の団結を促し、愁訴(しゅうそ)強訴(ごうそ)などの行動や、全員で耕作放棄して逃げる逃散(ちょうさん)、そして不当な役人に対する土一揆の実行や農民の反抗の核となることがありました。


上に出てきた用語は今でも一部、集落の集会や運営に関して使われていますね。

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2017年03月09日

日本史 日本の選挙制度の変遷

明治以来、日本の選挙制度は選挙権の面で何度か変更されてきました。このたび日本の選挙権が18歳以上に引き下げられることが決まりました。したがって過去にさかのぼって選挙権の変遷についてまとめます。なお、年号は選挙実施年で書いてあります。


(1)1890年 男子25歳以上、直接国税15円以上。

(2)1902年 男子25歳以上、直接国税10円以上。 

31920年 男子25歳以上、直接国税 3円以上。

41928年 男子25歳以上、普通選挙。

51946年 男女20歳以上、普通選挙。

62016年 男女18歳以上、普通選挙。


1946年以降は上のように、財産や性別によって差別されない普通選挙です。1928年の際には男子のみの普通選挙でした。今回、(5)の1946年以来、70年ぶりの改定と覚えるといいです。




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2016年12月10日

センター日本史 沖縄返還で

1972年に沖縄は日本に返還されました。それ以前の状況について説明しましょう。


敗戦後、日本は主権を失って占領下に置かれました。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が指令・勧告を行い、日本政府が政治を行う形式の間接統治を行いました。大日本帝国憲法を越える勅令(ポツダム勅令)によって統治されました。


当面は日本を非軍事化し、民主化(五大改革指令)を進めることが目標でした。そして日本が再びアメリカやアジアの脅威になることを防ぐねらいがありました。


そして時がたち、日本の新憲法の樹立、民主化を見届け約7年間にわたる占領はサンフランスコ平和条約の調印、発効により終わりを告げました。


この際に領土は、朝鮮の独立、南樺太・千島列島・台湾の放棄、そして小笠原諸島・沖縄についてはアメリカの施政下におかれることになりました


その後の日本の領土についてまとめますと

1953年 奄美諸島返還

1968年 小笠原諸島、硫黄諸島、南鳥島、沖ノ鳥島返還

1972年 琉球諸島返還


という経緯でした。


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